50のシーンに分けて筋書きを考えてみる作業は思った以上に楽しい
ええ、着々と進めてますよ。
今日は3時間ほど工面して、エクセルに「50のシーン」を書いてます。
これは、下記の本を参考にして始めた作業。
本書には「キャラクターシートはこう書く」「世界設定はこうまとめておく」といったテンプレートが多数用意されている。まあ、その書き方とか例が、やや空想ファンタジーものを意識したものになっているので、主が書こうと思っている現代学園モノにはそのままは使いづらいんだけど、いろいろ「こういうことも事前に用意しておかなきゃね」という勉強にはなる。
で、「50のシーン」というのは、書きたいと思うシーンを事前にメモ書きしておけ、しかも50個前後はないとダメだよ、というアドバイス。そしてそれぞれのシーンで、誰がどういうスタンスで登場するのかメモして行けよ、というアドバイス。
これは、以前読んだ『感情から考えるシナリオ技法』でも、そうしたやり方をする脚本家がいると書いてあったので、やってみようと思った次第。
最初は、50個も出てくるのだろうか。大変だな、と思った。
でもやってみると、思ったよりポロポロと出てきた。
しかも、非常に面白い知的作業。
3時間くらいで、20近くのシーンが出てきた。
なかなk、いいやり方だ。
この作業をした結果、いろいろなことに気づいた。
まず、キャラが自分の頭の中で生き生きと動き出し、また、性格や個性が徐々に生まれてきた。
以前、キャラについて考えた時は、何度も堂々巡りをして、正直苦しかったのだが、この50のシーンのメモ書きは、一切そういうことがなく、どんどん作業が進んだ。しかも、迷っていたキャラの個性まで浮かび上がってくる。
社会学か心理学かで、人の性格は、人間関係によって作られると聞いたことがあるが、ラノベでも同じで、キャラ設定をウンウン唸って考えても無駄で、いろんなキャラと絡ませることで初めて、その者の性格や個性が浮かび上がってくるのかもしれない。
また、シーン20目でようやく主人公が登場できたのだが、「遅い!」と思ってしまった。全部で50シーンだと4割の地点になる。これでは遅すぎるし、後半が尻切れトンボになる。多分、今の調子だと80シーンくらいになるか。
それが多すぎるのかどうかはわからないけど、最終的には何度か書き直して調整して行くしかない。また、執筆前に「主人公の登場がちょっと遅いかな?」と気づけたことは良かった。
誰でもやっている作業かもしれないけど、この50シーンに分けたメモ書きの事前作成はおすすめの方法だと思います。
ちなみに、この本の作者、榎本秋って人はすごいですね。
売れっ子ラノベ作家ではなく、ラノベ評論家にしてラノベ指導者。
ラノベ関係の書き方みたいな本を10冊くらい出してます。
いや、よく出すよね。
昔、ゴールドラッシュの際に、一番美味しい思いをしたのは、金を掘った人ではなくて、金の採掘者にスコップを売った業者だという話を聞いたけど、榎本氏のラノベの書き方本を見ていると、それを彷彿とさせます。
キャラを決めることはストーリーを決めること
やっちまった・・・
夏休みに一気に書き上げる予定だった。
この2日、会社も休んで家族も不在で完全な不在だったのに、
気がつけばバトルフィールドと鉄拳ばかりやってた・・・
これは猛省が必要だ。
というわけで今日の午後は気分を引き締め、5時間ほど集中して作業をした。
筋書きを作るところまで行きたかったが、それには届かず、
大まかなプロット、キャラクター設定4〜5人で終わった。
プロットとキャラクターだけでそんなに時間がかかってどうすんだ、という気もするが、いやいやどうして、この2つはなかなか時間がかかるところだ。
例えばこの2つを決めると、物語の方向性が決まってしまう。シリアス路線か、ギャグ路線かという方向性が。
かなり迷ったのは、話やキャラのリアリティをどこまで高めるか。そして話の辻褄をどこまで合わせるか。
主の性格的には、強引な展開や、不自然な動機は嫌いなので、緻密に伏線を張ったり、キャラクターの動機を明確にするエピソードを入れたがる。しかし、ここにこだわると面白みがなくなる。「現実の制約」というべきか、夢と空想の楽しい話が、リアリティにこだわるあまり、つまらない描写に陥るのだ。
ラノベではキャラが生き生き面白いことが成功の秘訣になる。とするなら多少リアリティを外し、「そんな展開、ありえねえよ」「何でそこで主人公に惚れるんだよ」みたいな強引な展開の方が望ましそうだ。実際、主から見てそうしたラノベは多い。以前は「そこが甘い」と思っていたが、おそらく確信犯だったのだろう。
そんなこんなで、プロットやキャラの設定を決めると、その方向性も決まってしまうので、これはこのプロジェクトの根幹を決める作業だ。一度船を作ろうと思ったものを後で飛行機に変更することはできないから、慎重に決めざるをえない。
そしてこの作業の難しいところは(そして面白いところは)、答えがないところ。自分で「決める」しかない。あっちもこっちも、は通用しないのだ。
そして、シリアスでリアリティあるものにするのか、突飛なコメディにするのか、物語の筋書きは変わらなくても、方向性の違いで、登場人物の設定も違うものになる。だから、時間をかけて迷い、決めていく必要がある。
何とか、その作業はできた。
あとは、シーンを50に区切ってあらすじを考え、肉付けしていく。
そこからが本番なのだろうけど、今日だけでも十分頭脳的に疲れた。
そして、今までこのブログでダメ出しをしてきた多くのラノベ作品&作家に、改めて敬意を表する次第だ。
この作業を乗り越えたみなさんは、偉いです。
主も頑張ります。
新海誠推薦の脚本術を読んで見たでござる
数日前に新海誠監督がツイッターで絶賛していた脚本の書き方の本。
『君の名は』は、基本的にラノベ映画だと思うので、何かの参考になるかと思い読んで見た。
いや、正直にいうとまだ読み終わってないんだけど(400P以上あるんだよ)、途中経過のご報告。
主も昔、この手の映画脚本の教科書や小説の書き方みたいな本は何冊か読んだことがあるので、その限界もよくわかってる。読んだからといっていいものは書けない。ただし、役に立たないわけではない。大事なこともそれなりに書いてある。
本書も、使い方次第ではラノベを書く役にたつと思う。
脚本の書き方なので、映画とラノベは違うんだけど、物語の進め方やキャラの設定などは、読んでいて勉強になった。
心構え的な話が多いが、実践的なテクニックの話もたくさん紹介されている。
ただ、多少この手の本を読み漁った人にとっては、重複も多いかもしれない。
個人的に良かった箇所だけ、いくつか共有します。
・私たちは登場人物によって泣かされ、笑わされるのであって、プロットではない。
・キャラクターに対する関心が失われた瞬間、物語に対する関心も失われてしまう。
・大事なのは読んでいるページで何が起こっているかではない。読んだ人の心の中で何が起きたか。
・使い古された表現を避ける有効な方法は、ジャンルを混合すること。
・主人公は待っていてはいけない。何かに反応するだけの主人公は嫌われる。
・あなたが書いたキャラクターがギリギリまで追い詰められたら何をするか、知っておいたほうがいい。
・どのページのどの部分でもお客さんを失う可能性がある。
・ある場面を抜き去っても物語が破綻しないなら、その場面は不要だ。
などなど。
ご興味のある方はご一読を。
確かに『場面設定類語辞典』はラノベ初心者の神ツールとなる
3000円もするマニアックな本なのにバカ売れしてると話題になった本。
主も最初、その記事を読んで訳がわからなかった。
というか、タイトルを見てもなんの本かわからなかった。
脚本家とか小説家向けの本なのだろうけれど、そんなに売れるのかいな、なんて思っていたら2万部くらい売れてるとか。これは600円のラノベが10万部売れるくらいのインパクトがあるすごいことだ。
で、色々調べたところ、ラノベ初心者が結構買っているらしい、という情報を得た(=グーグルが教えてくれた)。
ほうほう、それは興味がある。
ということで高いけど「えいっ」と買ってしまった。
結論から言うと、これ、使えるわ。
例えば「地下室」と言うページを開くと、
【見えるもの】
床の錆びついた排水溝、分電盤、カビた亀裂がうねるように入ったコンクリートの床
【聴こえるもの】
上階で誰かがトイレの水を流しパイプの中でゴポゴポと流れる水、木の梁がミシミシと動く
といった感じで、そのシーンに登場人物がいたら見たり聴いたり感じたりするであろう場面設定のヒントがたくさん書かれている。
使い方は簡単。
自分の書いたストーリーに適当に混ぜ込めば、あら不思議、臨場感やリアリティが1・5倍に(笑)
本当なら作者が自分で「こんな場面では何が目に入る? 何が聴こえる?」と想像力を膨らませて書くところだけど、そこって、クリエイティブで楽しい創作というより、どちらかというと、やらないといけない作業なんだよね(と主は考えてる)。
物語を進めたいし、キャラの会話も進めたいけど、場面設定はそんなに積極的に考えたりしたくないわけで、そして考えても薄っぺらくなったり、忘れてしまったりして、ついついおろそかになりがちだと思う。
そこをアシストしてくれるのが本書。
これで、物語や会話に専念できるというもの。
もちろん、プロの作家がこれに頼っているとしたら、なんだかなと思うが、初心者はこれで十分でしょう。主はガンガン使うよ。
ちなみにアマゾンサイトでは「翻訳書だから日本の例に合わない」とか書いてあったけど、それはちょっと想像力を働かせればいいと思う。
例えば「高校の廊下」の例を見ると「ハンドバックを落とした瞬間に見られたくないものが飛び出す(タンポン、コンドーム、コカインの吸引器)」ってあるけど、まあ日本では最後のは見ないと思うよ、そりゃあ。
でもさ、ここは「ああ、廊下でカバンを落とすことってあるよな。日本だとなんだろう。学校に持ってきて見られたら恥ずかしいものって、コミケの漫画とか?」くらいの想像力は働かせてもバチは当たらないでしょ。
っていうか、丸写ししようと思うなよ(笑)
感想文12冊目『異世界食堂」は予想以上にグルメ本だった
すんません。
「なろう」の存在を知りませんでした。
新人賞受賞作だけじゃなく、今売れてるラノベも読もうと思い、
最近話題の「グルメ系」を読んでみようと思ったのが本作。
投稿サイト「なろう」から商業出版され、コミック化やアニメ化され、
大成功を収めている。
そういうルートもあるのか、と勉強になりました。
で、読んでみた感想ですが、これはラノベとかファンタジーとかというより、
グルメ小説ですね。
5対5か6対4くらいでグルメとファンタジーの比率が構成されているかと思いきや、8対2か9対2でグルメですわww
ちょっと驚いた。
今、グルメ系ラノベファンタジーが空前の人気ですね。
「異世界食堂」とほぼ同じと目されるのが「異世界居酒屋のぶ」。
こちらも人気ラノベだけど、著者がうつ気味とかツイッターで拝見しました。
成功したら成功したで、色々悩みがあるのでしょう。
ただ「ダンジョン飯」は、スライムの調理方法とか、それなりにファンタジーだけど、
「異世界食堂」は、あんまりファンタジー関係ないグルメ小説だからね。
これ、ファンタジーじゃなくて、昔の偉人とか、宇宙人とかでもいいと思う。
第1章「メンチカツ」、第2章「エビフライ」だから。
なぜ「異世界食堂」や「異世界居酒屋」がこれだけ売れるのか。
主なりに考えた結論は、ラノベ読者の高齢化。
15年前、西尾維新の「クビキリサイクル」や涼宮ハルヒが出てきてラノベという言葉が騒がれ始めた頃は、きっとグルメ系ラノベは流行らなかったと思う。
その頃の読者は中高生〜ハタチくらいで、当然ながらグルメよりも恋や冒険に関心のある年頃だから。
そしてそうした読者のうち、一部はラノベから卒業したが、以前としてラノベ読者のままの方も多く、彼らは気づくと30歳から40歳になっている。
その年になると受け入れられるんですよ、グルメものがw
ラノベ読者が、「孤独のグルメ」の気持ちを理解できる年齢になったんです。
ラノベ読者の高齢化、というのは一つのヒントになりますね。
どうも「中高生に受けるもの」と先入観にとらわれがちですが、必ずしもそれが唯一の答えではない。30〜40歳向けのテーマも、狙い目かもしれません。
特に、作者がその年齢に近いなら、無理に学園ものを頑張って書くより、無理がないかもね。
以上
初めてラノベを書く際に留意すべき3つのこと
10冊も読めば「だいたい」ラノベについて肌感覚で理解できた。
逆にこれ以上読んでも、何かの域値を超えて開眼するということはなさそうだ。
何事も、最初に一つ何かを動かさないことには、始まらない。
だから、とりあえず書き始めることにした。
と言っても、最初の何ページかを書いたのではなく、「こんなシーンも書こうかな」という、ストーリーの途中の、カットしてもどうでもいいところを、ザッと2000字くらい、2時間くらいで殴り書きした。
そうすると、自分なりにいくつかの気づきがあった。
(多分、今の主にだけに該当する気づきだと思われる)
一つ。
やはりキャラクターの性格は、はっきりと極端に設定しておくべきだ。
ここが「もやっ」としていると、登場人物のセリフや行動が、すべて「書き手」になってしまう。
男だろうが女だろうが子供だろうが大人だろうが、同じ思考&言動の「書き手」がたくさん登場してきて、クローン同士のやりとりが始まる。
これがなかなか気持ち悪い(笑)
まあ所詮登場人物の「中の人」は漏れなく「書き手」になるわけだが、気を抜いてると、地味でつまらない「書き手」の掛け合いになるというわけだ。
そうならないためにキャラ設定はしっかりやっておくべきで、なおかつ、極端なほどしておくべきということ。ちょっとくらい色付けしても、なかなかキャラが立たないから。
二つ。
上記の一つ目とやや矛盾するけれど、「キャラ設定はあとで変えてもいい」くらいに考えて、とりあえず書き進めた方がいい、ということ。
キャラクターの個性が売りのラノベなら話は別だが、そこそこストーリー重視のものであれば、あとでキャラクターの性格や設定を変えても、多分大丈夫。
というか、最初から完璧なキャラ設定をして、ぴったりのセリフや行動をさせようと思っても無理だと思う。少なくとも主には無理。
だから、まずストーリーを追う形でざっと話を作って、あとでキャラのセリフや行動にエッジを効かせるのがいいと思う。書きながら「こいつは、もっとお笑い系にしよう」「こいつはもっとお姉さんキャラにしよう」という具合に。話を進めて言ったり、キャラ同士を絡ませていく過程で、見えてくるものもあるだろう。
最初から完璧な人格(キャラ)を作ってからスタートしようと思うと、多分、いつまでたっても書き進められないか、ちょっと書き進めてヤメての繰り返しになりそうだ。
三つ。
上の二つ目に関連するが、とりあえず、書き上げること。
つまらなくても、矛盾があっても、書き上げる。
これが大事。
主も少し誤解していたが、ラノベ(小説全般?)を書くという行為は、頭にある「出来上がった」物語をダウンロードする作業ではない。「頭の中で80点、少なくとも60点の物語を構想してから書き始めよう」なんて思っていては一生書けない。
60点でも30点でも、10点でもいいから、まず「叩き台」をひねり出す。
そこから何度も叩き上げ、60点、70点にしていく。
これが小説を書くという「作業」だ。
おそらく、4〜5回は書き直すだろう。
最初の2〜3回位は、そもそも話の辻褄があっていないとか、そういうレベルで。面白い、面白くない以前のレベルで、「小説として成立していない」ものを、なんとか「ルール違反にはなっていない」レベルにする作業が必要だ。人体で言えば、骨格づくりに相当する。「よく考えたら鎖骨がなかった」ということに、この段階で気づくこともあるはずだ。
筋書きとして見るに耐えるものになったら、次は「より面白くする」ために、1〜2回書き直す。「こんなシーンも入れた方がいい」「このシーンは意味がなかった」とか、場合によってはキャラが増えたり、減ったり、性格が変わったり。この作業を経てようやく、書き手も「この作品は笑いのエッセンスが多いな」とか「シリアスだな」とか、「俺は意外にラブロマンスを書きたかったのだな」とかがわかってくる。
逆に言うと、ここまで、書き手も正直、どんな作品かはわからないと思う。そんな無責任な、と思うかもしれないが、おそらくこれは正しい。ベテラン作家ならこのあたりのコントロールは可能なのだろうが、初心者作家にとっては、そんなもんだろう。人体で言えば、肉付けとか、髪の毛をつけたりと言ったところ。これを経て「ああ、結構健康的なんだな」「思ったよりセクシーだな」「身長があるね」と言うのが見えてくる。
最後にブラッシュアップだ。
気の利いた(と書き手が思っている)セリフ、シーンを付け加えたり、ダサい部分を削ったりする。人体でいうと、表情であったり、化粧であり、洋服を着たりの段階。つまり、最終的な見た目だ。
極端な話、ここでテキストすべて書き換えてもいいと思う。
物語や必要なシーンは、前の作業までで終えている。つまり、本質的な構造や材料は出揃っている。それをどう読み手にデリバリーするか、それがここでの作業だ
必要なら、最後、文章をフルリニューアルしてもいいだろう。
作家として未熟なら、自分が鬼編集者となって、何度もダメ出しをして作り上げると言う方法がある。
しかし、どんなダメ原稿でもいいから、原稿がないと、鬼編集者もアドバイスしようがない。
なので、とりあえず、10点の原稿でも書くこと。
初心者には、まずこれが大事だと思う。
感想文11冊目『ハナシマさん』は、なぜ受賞できたのかわからない・・・
第10回小学館ライトノベル大賞「ガガガ賞」受賞作。
本作品で、主は2回度驚かされた。
1回目は、これが新人賞を受賞したことだ。
本当に申し訳ないと思う。
人様が書いた作品に難癖をつけるのは、望むところではないし、やるべきでもない。
しかし、思わず言わずにはおれないのだ。
「審査員は、これのどこを評価されたのでしょうか?」
物語は、ホラーというか、サスペンスというか。
バラバラ猟奇殺人と、心霊ものと、学園ものが合体したような作品。
最初は、ちょっと興味があった。
恋愛ものでもコメディでもキャラクターものでもないラノベは久しぶりで、
なおかつ主はホラーには一家言持つ者なので、少し楽しみだった。
駄菓子菓子、、、、
期待はずれだった。
途中でそんな気配はしたが、これでも頑張って「最後のどんでん返しで一気に巻き返すのではないか」などと思い、読みきった。
なぜ期待外れなのか。
著者が未熟者だからとしか言いようがない。
作品として完成度が低い。
と、一冊も書いたことがないライトノベル一読者は思った。
何がしたいかわからない、と言うのが全体的な感想。
思わせぶりな「ふり」が、最初から散々出てくる。
でもそれが全部、大したことがないか、投げっぱなしかで、面白くない。
物理法則を無視しているから、トリックや謎解きが面白いわけではなく、
本来ならハナシマさん(=トイレの花子さんみたいなもの)の超常現象っぷりが本書の味噌になるはずなんだけど、ハナシマさん、たいして出番もないし、そんなに興味深い存在でもないし、なんだろう、出来の悪い小道具みたいな感じ。
その一方で、黒幕的なマッドサイエンティストがいて、その片腕の戦闘力が高い設定のクールビューティがいて、それと因縁浅からぬ少年がいて、でもどれも謎を残していると言うか、中途半端な説明だけで思わせぶりなことしか言わないから、なんだろう、どこかで見たようなシーンを切り貼りして「大作が一丁あがり」みたいに勘違いした作品になってる。
怖くもなければ、キャラクターが魅力的でもなくて、話も破綻してるし、読み方というか楽しみ方が最後までわからなかっら。
ラストで、ハナシマさんが補足の説明をするのには、呆れて失笑した。
だから、これが受賞したことが驚いたことの一つめ。
2つ目は、これの第2作が出ていたこと。
まじか。
どういう意図で続編だしたんだ?
面白かった? 売れると思った?
わからん。