よい子のラノベ教室

ラノベ作家デビューをたくらむ会社員が   読んだり書いたり

毎回振り返るべき3か条

1。もっとバカになれ。極端になれ。女の子が3Fの校舎から飛び降りて着地するストーリーでも構わない。漫画、アニメを描くのだ。純文学にしようと思うな。

2。とんでもないキャラにしろ。キャラとは個性だ。普通の人の普通の反応はだめ。漫画のような奴に、漫画のような思考と行動をさせ、漫画のような反応を生み出せ。

3。アクションシーン、濡れ場(萌シーン)、大掛かりなセットのシーンを意図的に入れろ。ぼやっとしてると、日常風景の立ち話が延々と続くぞ。

 

この●ケ条は今後も足していこう。

 

書き終えることが大事。

今日は、本格執筆の下ごしらえ。

アウトラインソフトのサンプルをマックにインストール。

構成から執筆まで、これで多少環境改善がなされたはず。

 

ということで50シーンをざっと書き連ねてみた。

まだ「面白さ」が薄く、何とか筋書きを追うだけみたいな構成だが、

そこはここから手を加えていくしかない。

 

「とりあえず、書き終えろ」という言葉を、ある作家のインタビューで読んだ。

その作家は、500枚くらい書いた原稿がボツになったことがあるという。

それは辛いことだが、その経験は、同時に進めていた小説に生きているらしい。

そして「書きかけの小説をいくら書いても、うまくならない」と言っていた。

 

うん。

書き上げよう。

つまらないかもしれない、誰も読まないかもしれない。

そう思うと、筆が止まる。

実際につまらないと感じるし、誰かが読む可能性は極めて低いから。

孤独な、一人ぼっちの闘いだ。

でも、怖がるな。

いや、怖がってもいい

歩くのは止めるな。

 

もし、結局何もかもがダメだったとしよう。

でも死ぬときに、「5回書き上げてもダメだったな」と思うのと、「一度も書き上げなかったな」と思って死ぬの、どちらが後悔する?

前者なら諦めがつくが、後者なら諦めきれないだろう。

自分の人生に後悔を残さないためにも、立ち止まるな。

最下位のゴールでもいい。

とにかく完走せよ。

感想文13冊目『トーキョー下町ゴールドクラッシュ』は池井戸潤だった

www.kinokuniya.co.jp

 

色々あってラノベ制作が手付かずになったが、そろそろ復活しようと思い、まず試運転がてら何冊か読み直そうと思った。

で、実際に応募する賞の受賞作を研究しようと考えガガガと電撃の過去受賞作を7冊大人買いした。その内の一冊。

 

おそらく、現代を舞台にして、主人公が学生ではないラノベを読むのは初めて。

それも参考になるかと思い、読んでみたのが第22回電撃大賞の本作。

さぞかしすごいんだろう、と思いきや、普通だった。

 

普通だった、の意味は、よくも悪くもである。

まず「悪くも」から。

内容は、はっきり言って池井戸潤の普及版というか、その、池井戸潤もどきというか、そんなんだ。ざっくりいうと、企業や証券をめぐる経済サスペンス。

ブログ主は、この世界にほんの少し近いところに住んでいるから書いてある内容に親近感があったが、果たしてこれが、いわゆるラノベ読者層に受け入れられるのかどうか疑問である。これが好きなら池井戸潤真山仁を読むべき。取り立てて経済サスペンスとしての質が高いとは思えないし、キャラクターや世界観にエッジが立っているわけでもない。

次は「良くも」について。

文章のこなれ感はある。というか、この人本当に新人なんだろうか? 非常に読みやすく、「小説で10年食ってます」と言われても納得するレベル。すごくうまい、すごく面白い、というわけではないが、普通に読みやすく書き慣れている感じ。

アマゾンのレビューには「文章も最悪」みたいに書かれていたが、それほど突出して悪いとは思わなかった。もっと悪いのはざらにあるし、むしろ推敲に推敲を重ねた文章だと思う。

 

おそらく著者は40代以上だろう。

作品の舞台や登場人物、セリフの言い回しから、若さは感じられない。

ブログ主もその世代なので、この見立てはまず間違いない。

不思議なのは、なぜこれが大賞をとったか、である。

ケチをつけるつもりはないのだが、ラノベという感じはまるでしないのだ。

電撃大賞は、ラノベの賞ではない、ということなんだろうな。

この著者にどんな可能性を感じて、どういう趣旨で、大賞を贈呈したのか。

そこが良く分からない。

専業作家でない強み(及び弱み)

今月に入って、一切ラノベのことは考えていない。

なぜなら勤め先の成績がグンと下がってるからだ(笑、いや笑えない)

このままじゃクビになる、シャレにならん。

ということで、しばし仕事に精を出してる。

 

もともと、仕事でちょっとスランプ気味だったから、「目先を変えて楽しいことでもするか」とラノベ執筆を思い立ったんだよね。思い出した。

でも、仕事から逃げて仕事がうまくいくわけもなく、相変わらず低空飛行を続け、いよいよこのままでは墜落だなと気づいたのが8月末、前回のエントリーを書いた直後あたりかな。

で、今なんとか挽回しようと頑張ってる(仕事を!)

 

そんな覚悟でラノベが書けるのか、と言われれば、マジでごめんとしか言えないんだが、これが働きながら書く者の強みでもある。だって、書けなくても、食べていけるんだから。これは大きいよ。専業で作家になったら、書かないと食べれないし、書いても売れなければ食べれないんだから。

主は、マンションのローンも子供も背負ってるんだから、専業は無理なんです。

 

ただし、その分自分でプレッシャーをかけないといけない。

誰も「書け」って言ってくれないしね。

もちろん、書き続ける。

 

あれほど思い悩んだプロットから10日ほど離れてみて、いいこともあった。

冷静に、客観的に、見ることができるようになった。

「このネタを入れなきゃ、でも無理があるような」

「このキャラ、どう扱えばいいんだ」

とか、ウンウン唸っていたポイントも、

「別にいらないんじゃね?」

「こいつ、外してもいいんじゃね?」

と、結構クールな頭で判断できるようになった。

 

ネタは寝かせたほうがいい、ってのは本当だな。

こういう芸当も、専業じゃないから許されるのかもしれない。

めちゃめちゃ落ち込んだ、でも頑張る

今、正直凹んでる。

何に対して、どう凹んだか、箇条書きでまとめておく。

 

・キャラ

キャラクターの設定で迷い、ぶれ、行き詰まりかけていることは先日のエントリーで書いた通り。

最初は「いや、俺はストーリー重視だから」みたいな納得の仕方をしていたけれど、ふと思った。それって、キャラは何でもいいと言うこと?

キャラは、作者の子供だと思う。

その子供を「どうでもいい」と断じ、「俺の筋書き通りに踊ればいいんだよ」みたいな姿勢の作者は、どうなんだろうか。

俺には愛がない、そして愛のない作品が、他の人の心を揺さぶるはずがない、そんなことを考え、非常に凹んだ。

 

・ストーリー

じゃあ、そんなに大層にしているストーリーはどんなもんじゃい、と言う話。

昨日、過去に読んだことのあるラノベの第2巻(未読)のアマゾンページを見た。

何か明確な意図があったわけではなく「あの第1巻から、どう言う話を派生させるんだろう」くらいの軽いノリで見た。

で、そこで、自分が考えているストーリーに酷似していることを知った。

しかも、自分が考えているより、おそらくはるかに高いレベルの完成度で。

これには堪えた。

いや、そんなに奇抜な話ではないので、他にも似たような話はたくさんあると思ってたが、それでもポイントポイントで似ていて、ああ、これは二番煎じと言われても反論できないな、と思う。繰り返すが、本当にその本は、今でも未読だ。

 

 

結局、主にはラノベ(小説)を書く才能は微塵もないのではないか。

そんな弱気な考えも頭をよぎる。

 

ただ、である。

逆に、意地でも書き上げようと思った。

ストーリーが似ているのは無視する。

海の水を蒸発させるのは無理なように、過去の小説(ラノベ)を全て目を通し、そこと被らないようにすることなんて土台無理だ。それに、もちろん一字一句同じなわけではないから、あまり他の本は意識せずにやろうと思う。幸い、主はプロではない。プロなら他の本と被っていたら大問題だが、素人は、失うものはない。

 

そう。新人なんだから、未熟で、他とも似ていて、キャラ設定が弱くても当然だ。

いっぱい落選し、いっぱい恥をかいて、階段を登っていけばいいだけの話。

 

絶対にやっちゃダメなのは、そこで、辞めること。

クソ原稿でも何でも書き上げる。

それをしないで頭のなかで「ダメだダメだ」と言いながら老衰して死ぬことだけは絶対にすまい、と誓った。

 

シーンの長さはまちまちでいい

今回は短いエントリーでごんす。

物語を50に分ける作業をじわじわ進めているのですが、ふと「売れてるラノベは、やはりそういう構造になってるのかな」と思い『弱キャラ友崎君』を読み返してみた。

 

結論から言うと、何シーンあるか数える作業は途中でやめました。

それより、別のことに衝撃を受けたから。

 

最初の方に、主人公の友崎君とヒロインの日南の二人の会話シーンがあるのだが、ここだけで平気に20Pくらい使ってた。

本1冊でも200ページちょっとくらいだから、約1割。

単純に50で割ったとしたら平均すると1シーン4〜5ページになるはず。

もちろん、そんな均等に分かれるはずもないけど、せいぜい長くて10Pくらいでシーンを変えた方がいいんじゃないか、なんて思ってた。

でも、そんな余計なことは考える必要はなかった。

だって実際、そのシーン、確かに長いのだが、読んでいて飽きない、むしろ惹かれるシーンなのだ。

 

読者の読みたいものを、存分に差し上げる。

これだな。

 

 

主人公のキャラの方向性が決まらないのは重症かもしれない

ストーリーを50に分ける作業は、初日以外あまり進んでない。

何で止まっているかというと、主人公(ヒロイン)キャラの設定。

 

50のうち半分くらいは埋まった。

そこまでは比較的スイスイ進んだのだが、途中でペースダウンする羽目に。

なぜか。

登場人物のキャラ設定が、まだできていないというか、覚悟仕切れないというか、そういう理由で。

スイスイとプロットが書けたのは、比較的主人公のキャラクターが影響しないところ。ところがどうしても、(当たり前かもしれないが)、キャラクターの設定が大きく印象を左右するところが出てくる。

明るいキャラならA路線から問題を解決するだろうし、真面目キャラならB路線から問題を解決するだろう、というような場面が。オチは同じとしても、経路は変わらざるを得ない。

どちらでも成立するなら、そしてどちらのキャラにするという強烈な思いや決定的事由がなければ、あとは腹を決めてキャラ設定するしかない。

それが今、できてないんだな。

 

もともと今回は「キャラありき」の物語ではなく、物語ありきでキャラを考えているので、決定的な自由はない。例えばジョジョの第2幕をジョセフではなくジョナサンや承太郎に演じさせても面白い作品になったと思う。第2幕がコミカルなジョセフになったのは、第1幕のジョナサンが真面目だったからその反動だと思う。

今、簡単にいうとコミカルな主人公かシリアスな主人公かどちらかにしようかと思ってる。どちらでも話の大筋は変わらないが、シーンの半分くらいと、仲間(パーティ)編成は変わる(もちろん、作品の印象も)

どちらにすべきか、両方のパターンを毎晩布団の中でシミュレーションしているんだけど、決定打に欠けるんだよね。踏ん切りがつかない。

 

決めるアプローチは二つあると思う。

「より魅力的と読者に思われるキャラはどちらか」

「自分が心の底から書きたい、と思っているキャラはどちらか」

 

まず前者だが、それがわかれば苦労しない。

おそらく「コミカル」な方がウケるし、続きも書きやすいのではないかと思われるが、逆にいうと「平凡」になるかもしれない。つまり、どちらがより魅力的かなんて、コミカルと真面目のどちらかを選ぶ判断基準にはなり得ない。どちらも魅力的になるだろうし、どちらも失敗する可能性はあるのだから。

次に後者だが、これがまだないのが、重症かもしれないと思う理由。どちらでもいいのだ、心の底から。作者がそういう状態なら、まだ書くな、ということかもしれない。

でも、書き進めなければ、この先全然進めそうにないんだよね。

 

だからとりあえず、どちらかに決めうちして、書くつもり。

で、書き上げてから、やっぱり違うなと思えば、別案で書き直す。

以前のエントリーでも「何回も書き直す必要がある」と述べたけど、

本当にその通りだと思う。